雨が降ると、水は地形にそって低いほうへ流れ、最後に川に集まります。杉並区は標高がおよそ 25〜56m。その中で、善福寺川・神田川・妙正寺川が刻んだ谷すじが、いちばん低い「水の通り道」です。
地形データから「降った雨がどこへ集まるか」を計算(流路シミュレーション)すると、水は谷の方向へ筋を作って集まります。川ぞいの低地は、区全体の雨水が最後に行き着く場所――だから同じ雨でも、ここだけ水が集まりやすいのです。
そしてもう一つ。かつて川だった場所が、いまは地下に隠れた暗渠(あんきょ)になっています。地図に水面としては出てこない「消えた川」も、流域の毛細血管として水を集める通り道です。
川が溢れるのは、単純化すると 「流れ込む水の量」が「川が流せる量」を、一時的に超える からです。ポイントは2つ。
(1) 都市化で、水が一気に集まる。 土や緑は雨をしみ込ませますが、アスファルトは浸み込ませません。都市化が進むほど雨は地面に吸われず短時間でいっせいに川へ流れ込み、流れ込みのピーク(山)が鋭くなります。これが都市型水害の正体です。
(2) 想定する雨が大きい。 計画では 1時間あたり75ミリ という強い雨を想定します。これが谷へ集まると、川の断面(流せる容量)では受け止めきれない瞬間が生まれます。
実際、2005年9月4日の豪雨では、杉並区下井草の観測所で1時間112ミリ・総雨量263ミリという猛烈な雨を記録。善福寺川・妙正寺川の流域で 床上浸水1,024棟・床下浸水635棟(杉並区・区公式)。しかも被害は杉並だけでなく、下流の中野区・新宿区まで及び、3区合計で浸水家屋3,588棟(床上1,582・床下2,006)にのぼりました(国土交通省資料等)。さらに近年でも、2023年6月3日の台風2号で原寺分橋観測所が1時間最大50mm・24時間308mmを記録し、西田端橋〜松見橋付近で氾濫(都説明会資料)。「いつか」ではなく「すでに・くり返し起きている」ことです。
ここが核心です。地下調節池は、雨そのものを減らすわけではありません。やっているのは 「ピークの水を、いったん地下に預かる」 こと。
大雨で川が溢れそうな水位になると、あふれる前の水を地下のトンネルへ逃がして一時的に貯め、雨がやんで川に余裕が戻ったらゆっくり川へ戻す。結果、川を流れる量のピーク(山)が低く削られ、あふれにくくなります。治水でいう 「ピークカット」 です。
「50ミリ」と「75ミリ」の二段構え。 東京都の中小河川は、まず1時間50ミリの雨に河道整備(川幅を広げる等)で対応します。しかし気候変動で50ミリを超える大雨が増えているため、それを超える分(目標 1時間75ミリ)を、この地下調節池などで受け止める――というのが計画上の位置づけです(都資料)。調節池は「50ミリの上に積む備え」なのです。
「水を消す」のではなく「流れる時間をずらして、混雑のピークを平らにする」。電車のラッシュを時差通勤でならすイメージに近いかもしれません。
ここで視点を流域全体に広げます。善福寺川は神田川の支流です。杉並区和田と中野区の境(中野富士見町駅の西側)あたりで神田川に合流し、その先は新宿・豊島・文京・千代田・台東を東へ流れて、最後は隅田川へ注ぎます。一本の道のりにすると、こうなります。
都市河川どうしなので、善福寺川の急なピーク流量は、合流後の神田川の水位を押し上げる要因になります。逆にいえば――善福寺川の上流でピークを地下に預ければ、神田川へ流れ込む量のピークも下がり、下流(神田川本川)の浸水リスク低減にも資する。これが「流域治水」の考え方で、この調節池は神田川流域の広域施設(環状七号線地下調節池など)を上流側で補完する備えと位置づけられます(都資料)。
逆の見方をすれば――②で見た2005年の被害が杉並だけでなく中野・新宿まで及び、3区で3,588棟が浸水したのは、「上流の溢れが下流の問題に直結する=流域はひとつながり」であることの裏返しでもあります。上流での備えは、下流の負荷を軽くする効果も期待されています(効果の程度は支流と本川のピーク到達時間のずれにも左右されます)。
そして、これは模式図だけの話ではありません。実際の浸水想定区域を、杉並から下流の中野・新宿・文京・千代田の方まで広げて地図にすると、神田川・善福寺川・妙正寺川にそって、区をまたいで浸水域がつながっているのが分かります。
治水メカニズムとしては前述のピークカット効果を狙う事業ですが、実現にあたっては別の側面(トレードオフ)もあります。事実として両面を挙げます(どちらが正しいという評価はしません)。
「①〜④」で見たのは主に治水の効果(進める側の根拠)でした。一方で、事業に慎重・見直し・反対の立場の住民・団体・専門家が挙げている理由も、同じ材料として並べます(事実の整理であり、当否の評価はしません)。中心的に発信しているのは住民団体「善福寺川流域の自然と暮らしを守る会」など。
⚖ これらは「慎重・見直し側の主張」です。これに対し早期推進を求める側は「激甚化する豪雨から命と財産を守るため早期完成が不可欠」「すでに事業認可も下りており着工を遅らせるべきでない」と反論しています。樹木の伐採本数や環境影響の定量は、住民側の懸念と都の環境配慮計画とで認識に差があり、正確な数値は都の環境影響評価書等の一次資料で要確認です(本稿では断定しません)。出典: 住民団体サイト(当事者発信・一次)/ 都の説明会資料・区の経緯ページ(一次)/ 報道(二次)。各候補がこの賛否のどこに立つかは 争点ガイド へ。
各候補・各会派がこの点をどう考えているかは、出典つきで 争点ガイド に全候補同じ形式で並べています。
「水の流れ」という物理で見ると、感情的になりがちな話も、何が問題で・何を解決しようとしているのかが整理できます。そのうえで「どう進めるべきか」は、出典を確かめて、あなた自身で判断してください。
出典: 標高=国土地理院DEM / 流路=本サイトのD8流路シミュレーション(派生) / 浸水想定=国土数値情報 A31(計画規模・想定最大) / 川・暗渠=OpenStreetMap / 地図=地理院地図(淡色)。事業諸元(本管約5.8km・内径φ9.0m/φ7.5m・貯留約30万m³・事業期間 令和7〜23年度・対象降雨 時間50mm超〜目標時間75mm)および2023年6月の氾濫=東京都「善福寺川上流地下調節池工事 説明会資料」(杉並区 s098/1578 にて公開)。総事業費 約1,557億円・神田川下流への効果=東京都建設局 事業ページ/都報道発表(2024-03-25)。2005年9月の杉並区被害(床上1,024/床下635)・区の要望=杉並区公式 / 2005年の3区合計被害(3,588棟)・下井草112mm=国土交通省資料・土木学会報告等(二次)。神田川合流・下流の流路は河川一般。慎重・見直し側の論拠=住民団体「善福寺川流域の自然と暮らしを守る会」(zenpukujigawa.com・当事者発信の一次)/ 都の説明会記録・区の経緯ページ(一次)/ 報道(二次)。樹木伐採の本数等の定量は都の環境影響評価書等で要確認(本稿では断定せず)。本稿は中立・事実の整理であり、特定候補・立場を支持しません。